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歴史文化講演会 第3回「東京遷都と古都京都」を開催しました

更新日:2015年8月11日(火)
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 京都学園大学人間文化学会では、京都大学人文科学研究所教授の高木博志氏をお招きして、「東京遷都と古都京都」と題する講演会を開催しました。当講演会は、2015年新設の太秦キャンパスにおいて、新設する歴史文化学科に関連して企画した全3回の歴史文化講演会の第3回にあたります。ウィングス京都イベントホールにて開催された講演会には、予想を超える250名以上の聴講者にご参加いただき、一部立ち見もでるなど、この夏一番の39度を記録した外の暑さにも負けない盛り上がりをみせました。

当日の模様を本学大学院人間文化研究科人間文化専攻文化研究コースの井口大輔君がレポートしてくれました。井口君は、花園大学を卒業後、より専門的に研究を進めたいと、2014年春より本学大学院に進学しています。

京都学園大学人間文化学会
歴史文化講演会 第3回 東京遷都と古都京都 参加記

高木先生はまず、幕末維新期に至るまでの京都の様子を簡単に述べた。もともと戦国時代から江戸時代初頭の京都は角倉了以に代表される豪商によって経済的に発展し、「経済の中心」となるのだが、17世紀、江戸幕府が確立する中で経済の中心が大坂へと移され、政治的・経済的に落ち込んでくる。その中で京都は観光や文化を売りにするようになり、工芸品や京料理という京都ブランドというものが現れてくる。また、近代における東京遷都によって、天皇が東京へ移ることで今日につながるような京都イメージの確立の画期の一つとなったと述べられた。

では京都のイメージとは何か。その一つとして、葵祭のような「貴族の文化」が京都イメージの代表として取り上げられた。平安時代の国風文化と現代の京都イメージを重ね合わせ、その例として明治期の平安神宮創設やシカゴ博覧会の日本パビリオンを例に挙げながら説明をされた。特に博覧会パビリオンはその国が自国のイメージを表す形で建設するわけだが、日本はそこで宇治の平等院を模したパビリオンを建てた。日清日露戦期は世界の第一等国になるために日本は平安後期の文化的な面を世界に向けて発信する時代であったが、大正期ごろになると安土桃山期ごろの文化、琳派などに注目が集まる。すなわち大正期の京都イメージとしてこの時代の文化が顕彰されるようになる。また昭和戦前期においては幕末維新期の京都が顕彰されるようになる。これらの文化顕彰が戦後の観光ブームにも大きく影響を及ぼしていると述べられた。

さて、現在東アジアを含めて京都ブームが起こっており、2013年度の京都への観光客や約5000万人を数えるほどになっているわけだが、この観光イメージというのがまさに東京遷都後の近代に積み重ねられたものである。そのイメージが確立するには前提があり、もともと我々がよく知る鎌倉・室町・安土桃山といった時代区分の方法論はヨーロッパで建築をもとに確立したものであって、もともと日本にはなかった。日本において時代区分は歴史分野では美術分野から創出されていく。これは日本の文化を世界に発信する際には具体的な物、特に美術品をもとにアピールするためであった。その中で京都では仏像や社寺等の宗教的な創作物においても美術的価値が見出だすことで、現在の京都イメージに大きな影響を与える。

このように京都の観光イメージは形成され、現代へと継承されているわけだが、その京都という場所が女性性を持っており、これは明治期ごろに形成された。また戦前の京都は男性中心の観光地とされていたが、戦後には男性から女性中心の観光地へと変化する。

以上のように京都イメージの形成に関する序論を話された上で、ご講演は、いよいよ本論である東京遷都後の京都の様相についての話しに入った。ただし、この時点で講演会は予定時刻の半分以上を過ぎており、時間の都合上、今回のお話の本論にあたる部分は、所々割愛しながらのお話となった。

 まず明治2年の東京遷都に関するお話の中で、これには「遷都」と「奠都」という二つの表現がある点について指摘された。遷都は文字通り都を移すということであるが、あまり聞きなじみのない奠都について詳しくお話をされた。奠都とは、古い都を廃し、新たな都を設けることを意味する遷都とは異なり、別の場所に仮の都を設置することを指す言葉である。実際に維新期においても、明治天皇は東京へと行幸をして、その後京都へと還幸して大嘗祭を行うという約束をしていた。しかしながら、その約束は果たされることなく明治4年11月、東京の皇城において大嘗祭が営まれた。これをもって都は実質的に東京へと移ったという見方ができるのである。

この点に関して、高木先生のお話のあとの質疑応答の際に、「天皇は今でも京都に帰ってこられると思っている」という趣旨の質問をされた方がいたことは私の中で非常に印象強い。今なおも天皇と京都の人々のつながりはあるのだから、当時の人にとって天皇の存在は非常に大きかったと推察することができる。

話を本題に戻すと、高木先生はこの東京への遷都によって、天皇と仏教の関係が断ち切られたという指摘をされているが、これに対して皇后や皇太后と仏教の関係は東京へ移った後も続いていたという個人的には非常に興味深いお話もなされた。

さて、東京遷都後の京都についてのお話であるが、日本は開国によって欧米列強の文化が流入してくることで、近代日本の形成につながるわけであるが、日本はヨーロッパ諸国へ留学生を派遣し法律や憲法等を学ばせ、第一等国になるための改革を行うわけだが、実際のところはヨーロッパ的な面を導入しつつ、日本固有の文化や歴史等も重んじること、すなわち自国らしさも大切にする。この見方は一般的に知られていないように思うが、もっともな見解であると考える。近代日本では欧化政策に特化したわけではないという点は、
実のところフランスやイギリス等もよく似ていて、それらの国もまたヨーロッパの普遍的な近代化政策にも目を向けながら自国らしさも大切にしていた。

さらに近代日本のナショナリズムに関すること、「帝国」の時代の京都に関することについて、簡単にポイントをおさえて話をされた。近代日本のナショナリズムに関しては、日本の美術品や建築に絡めた説明であり、また日本のナショナリズムの特徴として天皇制とのつながり、郷土愛との結合をあげた。また、序論でもお話された京都においては平安時代の文化や貴族文化が顕彰されたことに触れた。

最終的なまとめとして、明治2年の東京遷都によって創出されることとなった古都京都のイメージは、国民国家形成期においては国風文化の、帝国の時代は安土桃山期から寛永期かけての、そして昭和戦前期になると明治維新のイメージが重ねられていく。また、帝都東京が男性性を持つようになるのとは対照的に、古都京都は女性性を持ち合わせるようになったということである。これこそが今回の高木博志先生のお話の結論である。

明治期の京都を研究している私にとって、当該研究に関して学界をリードする高木先生のお話を間近で聞く事ができ、大きな刺激をうけた。本講演で話していただいた内容も、今後、自分自身の研究に活かしていきたいと考える。

 (文責・井口大輔)