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山本淳子教授がハーバード大学などで講演をしました

更新日:2017年12月2日(土)
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ハーバード大学での山本教授の講演

 

本学人文学部の山本淳子教授が1127日と28日、米国のハーバード大学など二か所で講演をしました。

 

 

27日は、ハーバード大学ライシャワー日本研究所と同大学アジアセンターの共催で行われたもので、山本教授が「Globalism in the Tale of Genji」(源氏物語のグローバリズム)と題して、英語で約30分間の講演を行いました。ハーバード大学の教員、学生、他大学の教員、一般市民など約30人が集まりました。

 

まず、ハーバード大学のメリサ・マコーミック教授(日本美術史)が山本教授を紹介しました。

 

講演で山本教授はまず、源氏物語で主人公光源氏の母「桐壺更衣」はだれをモデルにしたかと問題提起。源氏物語の作者である紫式部は、唐の妃である楊貴妃に基づいていることは自ら明らかにしているが、じつは、紫式部がよりモデルとして想定していたのは、日本の天皇の妃として政権争いに巻き込まれて波乱万丈の短い生涯を終えた中宮定子だと、山本教授の考えを紹介しました。

 

山本教授は、さまざまな文献を示しながら、定子、楊貴妃、桐壺更衣を比較しました。そして、定子の人生の前半は楊貴妃に似ており、人生の後半は桐壺更衣に似ていると指摘しました。定子は紫式部と同時代を生きた人物であり、紫式部は「定子という時代の記憶と、楊貴妃というすでに古典化していた唐の時代の記憶の両者に心を致し」、「きわめて日本的な悲劇の妃である桐壺更衣を創出した」と結論づけました。

 

そして、「楊貴妃という事件がそうであったように、定子という事件も、放置すれば風化し忘れさられる。が、作品化することにより、定子の事件は楊貴妃の事件と同様に時空を超えて伝承させることができる、源氏物語の作者はそう思ったのではないか」と述べました。

 

 

講演のあとの質疑応答では、「紫式部のパトロンは藤原道長であり、道長の娘の彰子と定子はライバル同士である、そのライバルの定子をなぜモデルにしたのか」との質問があり、山本教授は、「紫式部が源氏物語を書いたときには、まだ彰子に仕えておらず、中立的な立場にあった」、また、「藤原道長にとっては源氏物語を取り込むことよって、定子の死によって悲嘆にくれた一条天皇の心を慰めること、また源氏物語の内容を情報管理することができることの二つの利点があった」と、指摘しました。

 

また、「ハーバード大学で源氏物語を学生に読ませると、光源氏は、父の妻と恋愛関係におちたり、幼い子供を理想の妻に育てたりして、『気持ちが悪い』という印象を持つ学生が多い。この点についてはどう思うか」との質問に対しては、山本教授は「たしかに、光源氏の行動は現代のモラルをはずれている。しかし、幼い時に母を亡くし、天皇の子息でありながらその立場を与えられなかった光源氏の心は深い闇につつまれていた。心に闇を持つ男で、光源氏は『あだ名は光・心は闇』。それを理解して、どうか彼の行動を温かく見てほしい」と答えて、笑いを誘っていました。

 

 十二単着装実演(ボストン日本協会)

 

28日には、ボストン日本協会の主催で平安装束十二単の着装実演が、京都の風俗博物館の協力を得て行われ、山本教授は冒頭で「Elegant Lifestyles of Ancient Noblewomen in Japan(日本古代の貴族女性の優雅な暮らし)」と題して、英語で講演を行いました。

 

 

山本教授は、今から約1200年前にできた平安京の人口は約10万人だったが、高い身分と経済的な豊かさと洗練された教養を持ち、一般庶民と全く異なる生活様式で生きてきた貴族はわずか1000人から2000人で、彼らが高度な文化の担い手になっていたと紹介しました。

 

「男性貴族は王宮に出勤して忙しく働いたが、女性はほとんど室内から出ることがなく室内でも外に近い場所ではなくて、奥まった場所で暮らしていた」、「しかし彼女たちは消極的な生活を送ったわけではなく、財産を持つことも許され、家族の中で意見を主張することもでき、愛され尊重されていた」、そして「貴族が愛したのは美と芸術、そして恋だった」と説明しました。

 

 

そのあと、風俗博物館の学芸員とスタッフが十二単を一枚一枚着せ付けながら、十二単の重ねの色や柄の意味、当時の生活風習などを紹介、十二単は重さが15㎏もあることを説明すると聴衆からは驚きの声が上がっていました。

 

十二単の着せ付けが終わると、聴衆からは、「夏にも、こんなたくさんの服を着るのか」、「特別な儀式のときに着るものか、日常的に着るものか」、などの多くの質問が出されました。

 

さらに、袿(うちぎ)や男性の狩衣(かりぎぬ)も希望する聴衆に着せ付け、記念撮影に並ぶほどの人気になりました。