藤原定家自筆『源氏物語』「若紫」出現 人文学部山本教授が記者会見で解説

2019年10月09日メディア

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今回出現の「若紫」巻。 左頁五行目に藤原定家自筆の修正あり

2019年10月7日、京都市上京区の冷泉家で記者会見が行われ、藤原定家本『源氏物語』「若紫」が、東京の大河内家より出現したことが発表されました。この会見には、本学人文学部の山本淳子教授も登壇し、研究上の意義を解説しました。

藤原定家(1162~1241)は冷泉家の祖である歌人で、小倉百人一首や『新古今和歌集』を選んだことでもよく知られています。

『源氏物語』は紫式部が創作した世界的古典文学作品ですが、紫式部の書いた原稿は残っていません。平安時代、物語は手書きで書き写されて伝わったため、自然と誤記や書き落としも多く、成立から二〇〇年後の定家の時代には、本ごとに文章が違っていたり、意味の分からない箇所があったりというものになっていました。そんな中で、定家は様々な写本を比較し検討して、より正しい本文を復元しようと試みました。そのことは、自らの日記『明月記』のにも記しているところです。

定家が監修して作った『源氏物語』五十四帖のうち、これまで所在が判明しているのは「花散里」など四冊だけで、現在すべて重要文化財に指定されています。今回は、その五冊目が出現したということになります。

大河内家の資料によると、この「若紫」一冊は、寛保三(1743)年、将軍吉宗のもと幕府の老中を務めていた大河内家当主・松平信祝に、福岡藩主・黒田継高が譲り渡し、大河内家では代々守り伝えてきたということです。冷泉家では、大河内家の依頼を受けて調査し、今回の藤原定家本「若紫」発表となったものです。

山本淳子教授は、従来「若紫」は15世紀後半の写本「大島本」によって研究されてきたということ、今回の写本はそれを二五〇年以上さかのぼる現存最古の写本であると同時に、まさに平安時代の古典文学を守り伝えた藤原定家の整えた本文であって、最も信頼できるということを説明しました。また、「若紫」巻の内容と、教科書など一般に与える影響について、次のように説明しました。

山本教授コメント

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「若紫」は、光源氏が18歳の春、桜満開の北山で美少女と出会うという、高校の教科書ではおなじみの場面を含みます。この少女が、やがて光源氏の生涯の妻・紫の上となるのです。また、彼がずっと心に秘めていた義母・藤壺への思いを暴走させ、密通という形で遂げてしまうこと、そのため藤壺が懐妊してしまうことといった、『源氏物語』全体に関わる大事件をも含みます。今回の出現により、やがて教科書や一般書の『源氏物語』も、この一冊に従うようになるでしょう。その意味でも、『源氏物語』史上画期的な出来事と言えます。

(人文学部 教授 山本 淳子)

※10月9日付けの各紙(日本経済新聞、朝日新聞、読売新聞、京都新聞、毎日新聞)に本内容の記事が掲載されています。

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